PITY ある不幸な男　レビュー - 刺激ブログ　SPICE!

これはギリシャの映画だ。PITY直訳すると残念という意味。男の人生は果たして本当に残念だったのか？社会的ステータスの高い弁護士という仕事にありつけ、幸せな結婚も成し遂げ、何不自由ないライフスタイルを確立している。しかし、どこか映画の空気全体に虚無感や喪失感、無力感といったワードセンテンスが付き纏う。それは、不慮のアクシデントにより半ば植物人間と化した良縁の美人妻。田舎で独り老後の余生を過ごす痴呆症気味の父。ピアノの下手くそな一人息子が生み出す不協和音。無機質な冷笑を編み出すような部屋の椅子・テーブル・時計などのギリシャインテリア。それらのような、ニヒルな不安定用要素と主人公ヤニス・ドラコプロスの律儀で神経質そうなキャラクター像から観て取れる。この主役の役者が不気味なオーラを醸し出していて面白い。劇中、多分一度も笑顔を見せない。男が部屋のベッドでうつむき、悲しみに暮れるシーンが３・４回ほど映画に挿入されている。

妻が昏睡状態にあることが辛いのか？それとももっと違う要素によってこの寂しさは去来してくるのか？取り敢えずこの男の苦悩する様がまざまざと精緻に描かれている。この男が最後常軌を逸し凶行に走るのだが、キレる人物像を描く映画は今まで色々観てきた。井坂聡監督の【FOCUS】など面白い作品はたくさんある。ただこの作品が、この流れの”ブチギレ作品”と少し違うのは、妻が事故に遭ってしまうというある種の不幸によって周囲の人々が彼に対して驚く位”やさしくなる”ということだ。急にオレンジケーキを焼いたからといって持ってきてくれる隣人の奥さん。特別に割引サービスしてくれるクリーニング屋。同情して抱擁してきた弁護士の秘書など。日本人にも通じるような親切心、ギリシャという国の国民性なのだろうか？その変わり様に思わず笑ってしまう。そしてその親切や過寛容に甘んじてしまう中年の寂しいおっさんがなんとも滑稽に観えてしまう。そこが新しい。不幸が降りかかることによって、新しい幸せ・別次元の思いもよらなかった楽園が目の前に広がっていくという不条理劇。そこが非常に新鮮で面白かった。男は家族の不幸を得たかわりに、その代償に、人間本来が持つ温かい思いやりの精神に触れることができたのである。その精神は昨今の殺伐としたインターネットの世界や戦火を交える国と国との争いの世界などを駆逐してしまうほど、崇高で神々しい。

しかし、物語は昏睡状態の妻が意識を取り戻したという病院からの一報で急変する。親切してくれた周囲の人々の自分に向けての態度が、無関心と化していったのだ。その落差の描写があからさま過ぎて多少拍子抜けしてしまったが、その急変した描き方の妙も作り手の意図だったのだろうか？まるで現実の世界で演出家が現れ、強制的に無関心を装うようにと演技指導が入ったような変わり様だ。そのある種のわざとさも、新感覚というか面白かった。その後の男の失望ぶり、人脈のなさぶりがおかしかった。お前ではなく、綺麗な奥さんのことが心配で気にしてたんだよ、みんなと神様が天の上から笑いながら罵声を浴びせているような気がしてならなかった。神様に裏切られたという思いを抱いてしまった寂しい男の末路。この男とこの妻、家族は本当に幸せだったのだろうか？あの部屋で咽び泣くシーンはただ単に良縁の妻のことを思っていただけとは思えない。もっと人生の重いテーマや哲学的な思考などと主人公は戦っていたように思える。恐らくこの男は最初から孤独で壊れていたのだろう。佇まいや会話の端々、無機質な異様さなどからどこか異常者に診て取れる。男が引き起こした凶行のスイッチが見当たらない。その後、何にも殺すことになるのだが、動機は意味不明。周りの他人達が庇ってくれなくなったから、家族なんてもういらないとでも言おうとしているのだろうか？殺人犯の幼児性に背筋が凍ってくるようなスリルを感じた。凶行シーンはカットされていて、倒れている人で慮るというような描写であるが、その男の異様さは気色悪く映画的スリリングさに好気を持ってしまう。