ザ・ホエール レビュー

ザ・ホエール ポスター


ブレンダン・フレイザーの復活密室劇。

アカデミー主演男優賞受賞で話題のザ・ホエールを観に行った。体重200キロ代の自堕落中年男に特殊メイク込みで挑んだフレイザーに並々ならぬ演技アプローチを随所に感じた。ある程度体重を増量して役に挑んだのだろうけど、実際リアルにここまで巨漢になっていたら、オスカーどころかもう殿堂入りに刻銘されていただろう。この映画、ほぼフレイザー演じる大学講師のチャーリーが部屋から出ず、画面いっぱいの巨漢を縦横無尽に醜く蠢いていくだけで話は終わっていく。看護師のリズや娘のエリー、配達員のトーマスといったごく少数の、生前関わりを持った人たちのやりとりだけで物語はゆっくり地味に進んでいくのだが、なぜ過食症になってまで、ここまで自分を追い込んだのか。高血圧症が原因で余命幾ばくながら、なぜ病院に彼は行かず、仕事ばかりしていてお金をただ溜め込んでいるのか。そのようなどうしようもない、非社会的な状況。身に纏わる彼の謎を考えながら観入っていくと、愛や生の切迫さや自責の念などに次第に謎が解き明かされ、胸が張り裂けるような気持ちに陥ってしまう監督のダーレン・アロノフスキーのまるで精巧すぎる時計仕掛けのような、感動タイムマネージメントに暴力的な映像の応酬、恥辱さえ感じてしまう。

冒頭チャーリーが、ゲイのアダルトムービーを観ながら自らの性器をまさぐるシーンが導入されている。その巨漢を揺らしながら、まるでクジラの潮吹きのような絶頂に観客は否応無しに、主人公の性的趣向性について脳内に差し込まれてしまう。自分が同性愛者でありながら、世間体などを気にして有能な女性と結婚し優秀な遺伝子を残さんとばかりに子供を産み、家庭を形成せざるを得なかった、本人の苦悩は計り知れないものがあったと思う。そして離婚をし、家族を捨てるという凶行に走ってしまうのだ。家族愛や父親の責任をかなぐり捨てながらも本来の彼自身を選択したチャーリーには、他人が関与など出来るわけない壮絶な人生の大決断があっただろう。しかも、その相手が熱心なキリスト信者で同性愛の罪に苛まれ自らの命を絶ってしまうという、これでもかという残酷な現実の連続。最愛の恋人と家族の喪失。ついに彼は、自暴自棄に陥ってしまい、部屋にひたすら引きこもりピザやチョコなどを貪る過食症の超肥満中年、屍のようなクジラと化してしまう。娘のエリーとのやりとりがこの映画のダイジェストであり、メインテーマなのだが、この娘のやさぐれ具合と父に対する嫌悪感がずっと一貫していて、父チャーリーとのコントラストを克明に浮き彫りにし、観ていて気持ちよかった。ティーン特有の多感で繊細な心の傷つきやすさと、壊れてしまいそうな移ろいやすさ、世界に対する不信感がうまく表現できていて、筆舌に値する。すれ違いっぱなしで、全然理解されない、父親の空回りっぷりも観ていて心が抉られていくような感覚を覚えたし。巨漢禿げの醜態をSNSに晒すという暴挙に出たところは、ちょっと笑ったけど。そこも、っぽくてよかったな。”最後に一つだけ自分が正しいことをしたと思えることをさせてくれないか!”このセリフが心に突き刺さる。このセリフのために、今までの伏線がある、といっても過言ではなかった。これは父親の娘に対する、贖罪映画なのだろう。

キャラクターの設定としては非常に演じがいのある、人間味あふれる主人公像だと思った。フレイザーは過去、ハムナプトラシリーズで売れっ子になり、その後目覚ましくキャリアを築いていくはずだったが、女性問題や映画業界のパワハラ・セクハラ問題などで、ハリウッドのブラックリストに載ってしまい、出演作に恵まれなかったという不運を生きてきたらしい。アロノフスキーは過去、レスラーやブラックスワンなど人間の奥底に潜む闇の部分を、スタイリッシュにアーティスティックに映像で表現している、独特な世界観を持った作家だなと思っていたが、このような感動作を産み出せるとは意外であった。レスラーのミッキー・ロークなど落ち目の役者の資質を見出して、奇跡のカムバック劇を仕立て上げた。鍛え上げ、ストイックに追い込んでいって役の本質を洗い出すといった、演出アプローチらしい。キャラクター造形に対するアプローチも徹底してそう。今回の主人公はデブで禿げちらかしていて、ハリウッドスターのようなかっこいい俳優像とは真逆で、その悍ましい醜態にスクリーンいっぱいで観ていると、正直気持ち悪くなる時もあった。フレイザーのインタビュー動画も観たが、撮影から1年ほどの月日が流れたのかもしれないけど、それはそれは精悍でオーラもあり、落ち着いた大人の男といった具合で、見事に観客を裏切った姿を曝け出している。あくまであれは役の上でのキャラクターなのだよ、と言わんばかりだ。俳優さんの凄みを感じた。

次はどんなキャラクターを演じるのか、楽しみだ。個人的にはまた、キー・ホァイ・クァンと共演してもらいたい。